momo

4月5日、インコのひなを、新しく迎えました。

広島にマリンバのレッスンに行ったときに、ペットショップに行って、出会った。
というか、可愛い子がいたら、連れて帰ろう♪と思って探していたんだけど
ちょうど一人餌に切り替わる時期の、生後1か月くらいの子がいたので、お持ち帰り^-^

広島から2時間以上かけて帰る途中も、気になってちょいちょい様子を見てましたが
元気で家まで連れて帰れました。
名前は、momo。ももちゃんです。
男の子か女の子か、まだ分からんです。男の子だったら、ももたろうちゃんだなー。

鳴き方は、まだ赤ちゃん。はっきりした声は出せなくて、
ほよよよ、ほよよよ~ っていうかんじ。

足も、まだしっかりしてなくてバランス取れない。
でもすごく慣れているので、体をなでまくっても、大丈夫!

今まで飼ってきた子は、手乗りだけど体にはほとんど触らせてくれない子ばかりだったので
これでもか!と首の回りやら背中やら頭やら、なでなでしてます。
気持ちよさそうに目を閉じて、「もっとやって~」と首を傾けるのが、もう死ぬほど可愛いです。

しかし、ものすごーく甘ちゃんなので(さらに甘やかしているが)
一人餌に無事切り替わるか?と心配で、家に連れて帰ってからの餌の食べ方も不安定で、
毎日体重測定をしておりますが、最近は安定してきた。

2-3時間おきに餌あげなくちゃいけない時期は過ぎているので、
朝昼晩、1日3回でよかったのですが、仕事しながらだとそれも大変だった。
普段はお昼の休憩時間が決まってないし、帰りも残業が多くて遅めのことが多いんですが、
家にいる母から「ももが鳴いとるよ~」とメールが入り、急いで帰り、自分のごはんより
まずももちゃんのご飯、みたいな。

最近めっちゃ仕事しんどくて疲れてるんですが、お昼も寝る暇なくなったけど、
それでも、ももちゃんは可愛いので癒される。
手のひらに包んだまま、一緒にうたたねする時もあります。しあわせ~。

まだ、若干ベビーフード的な、ひな用のえさも食べてますが、だんだん自分ひとりでも
ごはん食べるようになってきた。成長してきたなあ・・・
鳴き声も、たまにですがzzのまねをして、大人っぽい鳴き方するときがある。

zzはといえば、momoが来て最初の日はすさまじい嫉妬をし、
めっちゃ機嫌が悪く、落ち着きもなく、というか動きまくって、
「私のほうを見て~や!!」と言わんばかりにアピールがすごかった。
私の肩に止まってたのに、わざと隣にいる母親のほうに飛び移ったり。
(普段、ぜったいそんなことはしない)

いつも、寝てばっかりなのに・・・その豹変ぶりにびっくり。
やっぱり、自分以外に愛情注がれてるの、わかるし嫌なんだねえ。
2番目の子供を産んだときの状況ってこんな感じか。
上の子、zzちゃんは、だんだん警戒心がなくなってきたものの、まだmomoに対して
心を開ききってない感じです。近づくと、くちばしでつつこうとする。

ももちゃんはといえば、これがオープンハートちゃんなのか、
逃げようとするzzに自ら近寄っていくし、つつかれても全然動じてないんですけどね。大物。
そのうち仲良しになって、一緒のカゴに入れるくらいになればいいんだけどな~。






と、こんな感じで平和そうに過ごしているかと思いきや、
(書かなくていいかもしれないな~とも思いましたが、、)

先週の水曜、10日の未明に親戚の叔父さんの家(牛舎)が火事になり、そのショックから
まだ体も心も弱り切っているのです、実は。
親戚の家といっても、私の実家みたいなものだったから。

私の家族は小さいころ、私が小学5年までは、おじさんたち夫婦と一緒に住んでいました。
両親がおじさんたちと一緒に酪農をやってたからです。

まわりに家もなく、私道の坂道を数百メートル登って行ったところに牧場がありました。
だだっぴろい牧草地があり、建物の裏は山になってて
建物の端から端までは100M以上あり、牛は最大100頭いたこともあるので
そこそこの規模です。

それで、その当時は牛舎と家は一体化していて、というか
牛舎の一角に住居スペースがあって、扉一枚で牛舎直結という、けっこうすごい環境で

さらにいうと、私たち親子4人の寝る部屋と、おじさん夫婦の寝る部屋は
それぞれ牛舎の屋根裏に作った6畳一間程度の部屋(トイレなし)という
これまたけっこうすごい環境でした。
部屋に行くには、屋根裏に積まれたわらの間を通り抜けてた。
わらの上で寝転がったりするの好きだったし、怒られたりして一人になりたいときとか
しょっちゅうわらの上に行っていた(笑)

そんなわけで小さいころから牛と一緒に生活し、牛舎の通路の、
両側には牛の顔がずらりとあるところで縄とびしたりだの、
ローラースケートで遊んだりだのしていたわけです。
そんな私たち兄妹の姿に、遊びに来てたいとこ達は驚愕してたらしいです。

小5の時に、父と叔父が別々に暮らし、それぞれで酪農をすることになり
うちの家族はおじさんたちの家(牛舎)から、町内の少し離れたところにある
今の家に引っ越しました。ちなみに今の家は「普通の」家で、
牛舎は完全に別の建物で、道路を挟んで反対側にありました。
(酪農は数年前にやめました)



10日の午前2時半頃、サイレンの音で目が覚めた。
火事の時はすぐ町内の有線放送が流れるので、起きてそれを聞きにいきました。
普段だったら、寝てるのにわざわざ聞きにまでいかないんだけど、なんか気になった。

そしたら、おじさんちだった。

父はすぐ出かける支度をして出て行こうとしたのですが、
私は一瞬どうしたらいいかわからなかった。というか、行っても何もできない気がした。

でも母に「いったほうがいいんかな?牛を逃がしたりするかもしれんよね?」と聞いたら
「そうしたほうがいいかもね。私は行かれんけどあんた行けるなら。」というので
父にも聞いたら、父もそうしろと。
急いで着替えをし、一緒に現場に向かったのですが、
消防車やほかの車がたくさん来ていてもう坂の上までは車で上がれず、
途中に止めて歩いてあがりました。

坂の下から空を見たときに、もうだめかも、と思った。
あまりにも煙がすごくて空が赤かったから。

消防は、ホースを出しているところで、まだ放水はしていなかった。
真っ暗な道を、小走りで坂をかけ上がっていったのだけど
燃えている建物が見えだしたときには、ああ、もう完全にだめだ、と思った。

現場に着いた時には本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。
おじさんも呆然としていた。とりあえず無事だったのでよかったけれど
消防や警察の人にいろいろ聞かれていた。
漏電かもしれない、とか言っていた。

牛舎と昔の家だった建物はぜんぶ、燃えてました。 
牛の鳴き声はもう、ぜんぜん聞こえなかった。

燃えている建物の10メートルくらい向かい側に、数年前に建て増しした新しい家と
若い牛を育てる牛舎があったのですが
そっちに燃え移りそうな火を、まず最初に消し止めるために消火剤や水をかけなければ
ならないので、様子を見るために叔父と父親は火が近づいている家の前まで行ってしまい、
その時がいちばん怖かった。

2人とも、建物の屋根に水をかけている中に飛び出していったので、ずぶぬれでしたが
無事に戻ってきました。

その間にも牛舎側へ放水はされていて、崩れてくる建物が危ないので
ホースを後ろに下げるのを一度手伝っただけで、
あとはもう、何もできず見ていることしかできませんでした。

叔父はそのあとずっと、続々と増える警察の人たちに同じ質問を何度もされていた。


消防の人たちのすぐ後ろ、燃え上がる建物の10メートルくらい先に立っていました。
屋根が燃え落ちて崩れてきたり、タンクに入った灯油か何かが激しく燃えていたりした。
火が熱くて、とにかく恐ろしくて、途中から私は足が震えて吐き気がしてきました。
まわりには女の人はまだ誰もいなかった。
泣きたいけど泣けなかった。
そしたら、いとこの奥さんが来てくれて、ようやく私はほっとして、泣きました。


おじさんも、もう歳老いてきているし、病気のおばさんは入退院を繰り返しているし
(火事の時は入院中だった)
一人で40頭以上も牛を飼うのは限界が来ていたんじゃないかと思う。
こんなきっかけではあっても、少し牛の世話を減らして体を休めるのは良いことだったんだと
そういう風に思うことはできるから、起こってしまったことは、もうどうにもならないし
心配とか気にやんだりとか、あるにはあるけど、それはそれ。

けど、たぶんショックを受けたのは子供の自分だったんだと思った。
子供の私が、泣いていた。

住んでたおうちがなくなって、牛たちはみんな、死んじゃった。猫も、いっぱいいたけど、
たぶん死んじゃった。
牛は、ひとつも逃がしてあげられなかった。かわいそう。

あと、とにかく、火。火が怖い。火事なんて見るもんじゃないと思った。
しかも、普通の家だったら田舎の平屋でも5-6軒、都会の家なら10軒以上が
並んで全焼してるくらいの規模だったと思う。


現場の火がだいぶおさまってきたころ、いとこの奥さんと一緒に家にいったん帰り、
炊き出しのためにおにぎりを作っていた母の手伝いをしているときに、
朝5時ころに鎮火の放送がありました。


周りに水が少ない土地で、消防車がたくさん来てても、ホース引けるのは限りがあったから
消火には時間がかかったと思います。
サイレンが鳴ってから、鎮火したのは約2時間半後でした。

それから消防の人たちが引き上げるまではさらに時間がかかり、
母も一緒に現場におにぎりを届けに行ったのは7時ごろでした。
すっかり明るくなっていて、がれきの山がはっきり見えて、そこに牛の死体が見えてしまって
ものすごく辛かったので、母には見るなと言いました。

猫は数匹助かったようで、うろうろしていた。

くすぶった煙はまだ上がっていて、牧草はまた燃える可能性があるから、
最後まで残ってくれた一部の消防の方たちが、消火し続けてくれていました。

警察の現場検証が9時からだったから、それまでにおじさんや親戚たちは
火が燃え移らず助かった家の中で休んでご飯を食べた。電気もつくようになった。
町外の親戚も、差し入れを持ってきてくれました。

私は、仕事を休ませてくださいと電話を入れて、先に家に帰って、ももちゃんにご飯あげて、
寝ました。

お昼くらいにようやく現場検証が終わり、母を迎えに行き、それからは覚えてない。
寝たのかな。
昼と夕方のTVのローカルニュースで、火事のことが出ていたらしい。
翌日の新聞にも載ったらしいです。
うちの町では朝昼晩の3回、時報のようにサイレンが鳴って、
それは火事のなり方とは違うんだけど
サイレンの音だけで私はなんだか苦しくて気持ち悪くなった。


寝てもぜんぜん疲れがとれなくて、翌日はどうにかこうにか仕事に行ったけど、
様子を聞かれるたびに泣いてしまって、仕事もいっぱいいっぱいで、
朝から3回くらい泣いた。

母は、ひどく風邪をひいて寝込んでしまった。
実は、火事があった日、急に冷え込んでいて、雪まで降ったのです。
金曜くらいまで、雪が降った。

私ものどが痛かったりしたし、仕事もたまたま新人の面倒まで見なければならず
ただでさえ新しく始めるサービスの準備でへろへろなのに、
もうどうすりゃいいんじゃ!というくらい疲れ果ててました。
インコと遊んでる時間だけが平和・・・。

金曜だったかなー、おじさんちに差し入れと忘れ物を取りにいったけど、
まだものすごく焦げ臭くて、というか火事当日より焦げ臭い気がした。
火事の時は感覚が麻痺してしまってたのかもしれないけど。
この時、夜だったからあまり見えなくて良かったけど、がれきをみるだけでも結構つらい。
あんなことにまでなってると、人の手作業でどうにかできるレベルではなく、
牛のほうはすでに業者が回収してくれていたけど、残りのがれきはガガーっと
重機でかき集めるしかなさそうでした。普通の家より、機械とかいろいろあるからね。
だから、がれきもデカいものが多いし。

水曜からそんな状態で精神的に、こりゃー、やばい。と思ったので、
土曜の休みの日にヒーリング整体受けました。
久しぶりに行ったので、私のぼろぼろさ加減にびっくりされてました。
胃もやられてるし、心のほうがね~、子供のころの大事な思い出とかが、
壊れちゃった辛さがあるよね と言われました。
それを私は感じないようにしてたんだなーと自覚はしていたけど、
ちゃんと感じて、出してあげたほうがいいんだよ、と。 

ヒーラーさんが、私が持っていたラピスのネックレスに、エンジェルちゃんを入れてくれた。
そんなことができるのか!とびっくりしましたが、
石を手のひらで包んで、何かエネルギーを送っているのを見ていた時に
頭からあごのあたりに、すんごい強いのがビンビンびりびり響いてきて、
眠りそうというか意識が飛びそうになって、ひっぱられるように
勝手に頭が前に(ヒーラーさんの方へ)傾いて倒れそうになったくらいなので、信じました。

と、そんなことがあったのですが(もうずいぶん前のことのようですが、時間感覚がおかしい)
母の風邪は無事に回復し、日曜日には一緒に広島にマリンバのコンサート
(世界的なマリンバ奏者である安倍圭子さん!)を聴きに行くことができました☆
ももちゃんも、ある程度自分でご飯食べられるようになったしね、よかったよかった。

こうやって書いてて、やっぱり泣けましたが、それでも気持ちの整理とか浄化のために
必要かなーと思ったので書きました。
まだもうちょっとヒーリングとかは必要かなと思うけど、だいぶ元気にはなってきたよ。
真っ赤なものが広がっている景色とか見ると嫌な気分になったりはするけど。
(今が紅葉の季節だったら辛かっただろうなと思う。。。桜でよかった)

読んでくれてありがとう。
明日は休みで、いつものお料理教室番外編「こんにゃく作り体験」に行くのだ!
寝なきゃ!チャオ☆
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by ekla-cafe | 2013-04-17 03:53 | log


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