アムリタ

私は3歳くらいのときに、ちょっとした崖から落ちて頭を打って
何針か縫っている。

私の一番古い記憶は、その落ちるまでと、落ちてから泣きわめいていたら
叔父が通りかかって助けてくれたところまで。

頭からはたくさんの血が出ていたらしい。
落ちたとき一緒に遊んでいた兄が、そのときどうしていたかとか
流血した私を見た父や母がどんな反応をしたのかとか
その後私が手術して髪の毛がなくなって、
白いネットをかぶって保育園に通っていたこととか
そんなことはぜんぜん覚えていない。

あの時、もっとどうにかなっていてもおかしくなかった、と思う。
でも子供だったからか、たいしたことなかった(のだろう)。

ちなみに、記憶というのは不確かなもので
兄は長年、「自分が妹を突き落としたのではなかったか」という
疑念に苛まれていたらしい。

去年遊びに行ったときに、ふとその話題が出たので、
それは違う、とはっきり言った。
そんな風にずっと思っていたなんて、こっちのほうが驚いた。
私は自分で勝手に落ちた、後ろを向いて頭から。
それだけははっきり覚えている。落ちていくスローモーションの感覚まで。

「アムリタ」吉本ばなな

この小説の主人公は、転んで頭を打って記憶をなくした。
それを取り戻すまでは「半分死んでいた」。

自分がどんなだったのか、わからない ということは怖いと思う。
日々、新しい自分の記憶が常に作られているけれど
過去と未来を途切れることなくつなぐ記憶がなくては、
つまり寝る前の私と起きたときの私が同一人物であるという
確かさがなくては、自分をどんな人かと(だいたい、であれ)言えない。

こういう「自己心理学」というのを大学で学んだとき、結構な衝撃を受けた。
それは大学1年のときだったけど、
「ああ、私は一回、高校生のときに死んだんだな」と思った。

今までつかんでいた大きなものを手離した。
そしてその時見た夢はまさに象徴的で、父親が死んだ夢だった。
私はその頃、長年積み重ねられてもうどうしようもなくなっていた
父親の期待を、ついに裏切った。
その時の私は、いったい何者なのか、何者になればいいのか
自分でもまったく分からなかった。
だから心理学なんかに興味を持ったりもした。

それから何年も経っているけど、私の一部はまた何度か死んでいる。
色んなものや人のお墓が私の中にはひっそり建っている。
これからも増えていくだろう。そして新しい記憶をつくる。

何年もかかったけれど、父親とは、今は仲良くやっている。

色々あったけれど、京都で今、どうにか生きている。
過去に捨てた(捨てざるを得なかった)ものや、新しく得たものの記憶を
いっぱい詰め込みながら、日常をごくごくと飲み込みながら、
私の人生はどんどん面白くなる。

時の流れがもたらす、人生の美しさ、残酷さ。
手放してはまた手の内がいっぱいになる。何か新しい美しさで。


主人公・朔美が出会った友人、メスマ氏のことば
これがすべてだと思う。
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by ekla-cafe | 2007-01-30 16:53 | log


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